鎌田通清
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/04 07:44 UTC 版)
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時代 | 平安時代後期 |
生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
別名 | 道清、鎌田権守 |
官位 | 従五位下河内権守 |
主君 | 源為義 |
氏族 | 首藤氏族鎌田氏 |
父母 | 父:首藤資道 |
兄弟 | 首藤親清、通清、滝口定義 |
妻 | 源義朝の乳母 |
子 | 政清 |
鎌田 通清(かまた みちきよ)は、平安時代後期の武士。河内源氏の郎党。鎌田氏の祖。
経歴
藤原秀郷の後裔を称する首藤氏の出身で、祖父・資清のころより代々河内源氏に従った。通清もまた源為義に重く仕え、妻は為義の長男・義朝の乳母を務めたという。元永2年(1119年)河内権守に任じられており、鎌田権守を称して鎌田氏を創めた[1]。鎌田氏の由来は明らかでなく、相模国とも甲斐国巨摩郡の鎌田庄とする説もあるが定かではない。『山内首藤系図』によれば通清は駿河国の住人であり、北条時政の烏帽子親を務めたという[2][3]。
子の政清は源義朝の股肱の臣として知られ、鎌倉時代まで鎌田氏は御家人として見られるが、それ以降の動向は定かではない[2]。
脚注
参考文献
- 飯田悠紀子「鎌田氏」『改訂新版世界大百科事典』平凡社〈6〉、2014年。ISBN 978-4-582-03400-4。
- 野口実『坂東武士団の成立と発展』戎光祥出版〈戎光祥研究叢書〉、2013年。 ISBN 978-4-86403-096-0。
- 太田亮『姓氏家系大辞典』角川書店、1963年。 ISBN 978-4-04-030200-3。
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