釜屋の渡し跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/01 06:29 UTC 版)
「太田近江大掾藤原正次」の記事における「釜屋の渡し跡」の解説
釜屋の渡しは、小名木川の両岸、現在の大島1丁目から18丁目と北砂1丁目から3丁目を結んだ渡し舟で、江戸幕府が編纂した『御府内備考』の中で、上大島町の項に「渡舟場」とある事から、江戸時代後期には開始されていたとされる。また昭和17年(1942年)刊行の「城東区史稿」に渡船場の記載がある事から、廃止はそれ以降とされる。 「江戸名所図会」の中の絵「小名木川五本松」の右上には小さく釜屋前の渡しらしき舟が描かれていて、当時の様子が窺える。 また「釜屋の渡し跡」碑の案内板には明治末頃、川沿いに建ち並ぶ鋳物工場の写真が掲載され、両岸に大規模な鋳造所があったことを示している。
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