野間五造とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 野間五造の意味・解説 

野間五造

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/11 00:01 UTC 版)

野間五造

野間 五造(のま ごぞう、慶応4年3月10日[1]1868年4月2日) - 昭和21年(1946年2月18日[2])は、日本の衆議院議員憲政本党)。ジャーナリスト

経歴

岡山藩士野間隼太の長男として生まれる[3]岡山中学校を卒業後、同志社英学校などを経て、1887年(明治20年)に東京専門学校に入学した[1]1888年(明治21年)に英語科を卒業し[1]、翌年には邦語政治科を卒業した[3]1890年(明治23年)、『東京日日新聞』の記者となる[1]。翌年、に渡って広東同文館で中国語を学び、また『東京日日新聞』『東京新報』特派員として長江流域の哥老会反乱を報じた[1]1893年(明治26年)、沖縄県に渡って琉球新報社を興し、主筆となった[1]。翌年、日清戦争が勃発すると戦地通信員として渡清した[1]1895年(明治28年)より台湾に移り、台湾商工会や台湾紳商協会を興し、主幹を務めた[1]

1898年(明治31年)、第6回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第7回衆議院議員総選挙でも再選された。

その他、早稲田大学評議員を務め、憲法学を講じた[3]

著書

  • 『立法一元論 - 貴族院無用論(上・下)』(白揚社、1926-27年)

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 『新選代議士列伝』p.235
  2. ^ 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。
  3. ^ a b c 『早稲田大学紳士録』pp.657-658

参考文献

  • 『新選代議士列伝』金港堂、1902年。 
  • 早稲田大学紳士録刊行会編『昭和十五年版 早稲田大学紳士録』早稲田大学紳士録刊行会、1939年。 



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「野間五造」の関連用語

野間五造のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



野間五造のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの野間五造 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS