野村治三郎 (6代)とは? わかりやすく解説

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野村治三郎 (6代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/08 05:44 UTC 版)

6代 野村 治三郎(のむら じさぶろう[1]/ちさぶろう[2]1828年文政11年11月[1] - 1900年明治33年)9月8日[1])は、幕末から明治時代の政治家貴族院多額納税者議員

経歴

のちの青森県上北郡野辺地町の豪商野村家に生まれる[2]。野村家は代々南部藩の御用商人、廻船問屋を務めた家柄で飢饉では救済米を施すなど慈善を行った[2]1855年安政2年)の飢饉や1872年(明治5年)の青森大火、三沢でのコレラ流行などの際に慈善を施し、野辺地のみならず周辺町村からも感謝された[2]。また、大坂より自費で御影石を取り寄せ、町内の道路修繕を行った[2]1876年(明治9年)と1881年(明治14年)の明治天皇巡幸の際には、自邸の庭に行在所を設けた[2]。その功績などを称され明治天皇との拝謁を許されたが、その際には岩倉具視が列席した[2]。ほか、上北郡雲雀牧場頭取、青森県会議員を務めた[1]

1890年(明治23年)青森県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[3]から1897年(明治30年)9月28日まで在任した[1]

親族

脚注

  1. ^ a b c d e 衆議院、参議院 編 1960, 208頁.
  2. ^ a b c d e f g 東奥日報社 2002, 548頁.
  3. ^ 『官報』第2179号、明治23年10月2日。
  4. ^ 人事興信録第8版ノ27
  5. ^ 人事興信録第8版ノ27

参考文献




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