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鄭均植

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/19 06:54 UTC 版)

鄭 均植
各種表記
ハングル 정균식
漢字 鄭 均植
発音: チョン・ギュンシク
日本語読み: てい きんしょく
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鄭 均植(チョン・ギュンシク、朝鮮語: 정균식1903年[1]または1904年5月13日 - 1957年4月15日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国ジャーナリスト政治家。潭陽面長、制憲韓国国会議員[2]本貫草渓鄭氏朝鮮語版[1]

経歴

全羅南道潭陽郡潭陽邑南山里出身[3]。潭陽公立普通学校卒、京城中東学校卒業または中退、東京成城中学校卒、青山学院人文科中退。日本統治時代は東亜日報潭陽支局記者[4]新幹会潭陽支会政治・文化委員、潭陽面長、南山農場代表[5]を務めたほか、精米業や育英養老事業[6]を営んだ。光復後は建準会員、韓国民主党全国発起人、大韓独立青年連盟潭陽郡委員長、朝鮮民族青年団潭陽郡団長、国会議員を務めた[2][1]

1957年4月15日、潭陽邑南山里の郷里の邸宅で死去[7]

エピソード

娘だけがおり、息子がいないため、一家のソウルへの転出により、2017年時点で故郷の潭陽には子孫がもう住んでいない[3]

脚注

  1. ^ a b c 근현대인물자료 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2025年4月2日閲覧。
  2. ^ a b 대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2025年4月2日閲覧。
  3. ^ a b 담양천년 특별기획Ⅲ / 담양의 마을(2)-담양최고 부촌 남촌마을”. 담양뉴스 (2017年2月28日). 2025年4月2日閲覧。
  4. ^ 동아일보 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2025年4月2日閲覧。
  5. ^ 근현대회사조합자료 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2025年4月2日閲覧。
  6. ^ 일제침략하한국36년사 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2025年4月2日閲覧。
  7. ^ 알림”. NAVER Newslibrary. 동아일보 (1957年4月18日). 2025年4月2日閲覧。



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