連隊長への昇進
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 04:49 UTC 版)
「ヘンリー・パジェット (初代アングルシー侯爵)」の記事における「連隊長への昇進」の解説
1793年にフランス革命戦争が勃発すると、スタッフォードシャーで民兵隊が招集され、同年9月に第80歩兵連隊(英語版)として正規軍に組み込まれると、パジェット卿は連隊長に任命された。同年12月21日、『ロンドン・ガゼット』でパジェット卿にlieutenant-colonel-commandantの臨時階級を与えることが発表された。連隊はまずガーンジー島に駐留した後、パジェット卿の指揮のもとフランドル戦役(英語版)に参戦した。 1795年4月14日に第7歩兵連隊(英語版)の中尉に昇進したが、同日に直ちに第23歩兵連隊(英語版)の大尉に昇進した。以降は短期間で昇進を繰り返し、1795年5月23日に第65歩兵連隊(英語版)の少佐に昇進、30日に第80歩兵連隊の中佐に昇進、6月20日に第16軽竜騎兵連隊(英語版)の中佐に転任、1796年5月14日に大佐に名誉昇進(英語版)、1797年4月8日に第7軽竜騎兵連隊(英語版)の中佐に転じた。第7軽竜騎兵連隊では紀律粛正に勤しみ、以降も配下の騎兵を鍛え上げて、のちの上官サー・ジョン・ムーア(英語版)が「私たちの騎兵はフランスのすべての騎兵より良質である」(Our cavalry is very superior in quality to any the French have)と評するに至った。パジェットのもとでは軍服も高品質が保たれ、パジェットはヴィクトリア朝になっても連隊の軍服である「パジェット・ブルーコート」(Paget blue coat)を着用し続けた。
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