連雀子育観音
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/13 13:55 UTC 版)
連雀町の市神は早くに三町へと遷されたが、その境内であったと伝わる場所に、「連雀子育観音」と呼ばれている堂宇が現在に至るまで残っている。伝わるところによると、市神の境内にあったこの観音堂は、元気で利発な子が育つというその霊験から住民の信仰を集め、市神遷座時も住民こぞっての希望で当地に据え置かれたという。弘化3年(1846年)の井上河内守から秋元但馬守への引継書でもこの観音堂について言及されているなど、名の知られた観音堂であった。
※この「連雀子育観音」の解説は、「館林の牛頭天王信仰」の解説の一部です。
「連雀子育観音」を含む「館林の牛頭天王信仰」の記事については、「館林の牛頭天王信仰」の概要を参照ください。
- 連雀子育観音のページへのリンク