連邦議会解散そして圧勝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 03:43 UTC 版)
「ヴィリー・ブラント」の記事における「連邦議会解散そして圧勝」の解説
ブラントはやがて東方外交の仕上げとして東ドイツとの関係正常化を目指すためには連邦議会での足場を強化する必要を感じていた。そのために1972年9月22日に基本法の規定に従い、政府信任案をあえて否決させて議会解散に踏み切った。1972年11月19日に連邦議会選挙が行われ、社会民主党は45.8%・230議席で、キリスト教民主同盟(CDU)・社会同盟(CSU)の44.9%・225議席を上回り、初めてCDU/CSUの合計票を上回り戦後最大の勝利を収めた。自由民主党は8.4%・41議席で、連立政権を維持した。
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