連邦直轄領発足までの歴史的経緯
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「ジャンムー・カシミール連邦直轄領」の記事における「連邦直轄領発足までの歴史的経緯」の解説
詳細は「カシミール」、「ラダック」、「ザンスカール」、「バルティスターン」、および「アクサイチン」を参照 イギリス領インド帝国からインドが独立した際、カシミール地方を統治していたジャンムー・カシミール藩王国の藩王ハリ・シングはインドへの帰属(英語版)を表明し、ジャンムー・カシミール藩王国はインド領のジャンムー・カシミール州となった。しかし、イスラム教徒が住民の多数を占めていたことからパキスタンも領有権を主張し、帰属権を巡って第一次印パ戦争が勃発した。 1949年に制定されたインド憲法第370条(英語版)でジャンムー・カシミール州には特別自治権が認められてきたが、インド政府は2019年8月5日にこの特別自治権を剥奪する大統領令を公布し、インターネット通信などを制限した。また、インド政府は議会にジャンムー・カシミール州再編成法(英語版)を提出、かねてから特別自治権の撤廃を主張してきたインド人民党の賛成で承認され、8月9日に成立した。これに対して抗議するデモ隊と治安部隊の衝突などが起き、パキスタンは住民への人権侵害と反発した。 ジャンムー・カシミール州再編成法の規定により、ジャンムー・カシミール州は2019年10月31日付けで廃止され、ラダック連邦直轄領とジャンムー・カシミール連邦直轄領とに分割された。
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