近習から将校へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/13 07:49 UTC 版)
「レンナート・トルステンソン」の記事における「近習から将校へ」の解説
1603年8月17日、トルステンソンはエルヴスボリ要塞の司令官トルステン・レンナートソンの息子に生まれた。15歳になるとグスタフ2世アドルフの近習となった。1621年から開始されたリヴォニア侵攻で初陣を経験し、リガ攻略にも加わった。続くスウェーデン・ポーランド戦争にも参加、この頃、グスタフ・アドルフはしばしばトルステンソンを直属の伝令将校として活用した。 トルステンソンの軍人としての資質を物語る逸話として次のようなものがある。ある戦いで伝令に派遣されたトルステンソンは、敵軍が動きを変えたため、王の命令が状況にそぐわないものであることに気がついた。そこでトルステンソンは自身の判断で命令を変更し、グスタフ・アドルフの下に戻ってそのことを報告した。王はトルステンソンの判断の正しさを認め、「レンナート、この命があるのは君のおかげだ。君は近習よりも将軍の装束の方が相応しい」と言ったという。1628年、ポーランド戦の功績が認められ、トルステンソンは中佐に昇進、連隊の指揮を任された。
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