輪之内町立仁木小学校とは? わかりやすく解説

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輪之内町立仁木小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/20 00:38 UTC 版)

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輪之内町立仁木小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 輪之内町
設立年月日 1873年
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
所在地 503-0214
岐阜県安八郡輪之内町海松新田827
外部リンク 公式ウェブサイト
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輪之内町立仁木小学校(わのうちちょうりつ にきしょうがっこう)は、岐阜県安八郡輪之内町にある公立小学校

校区は福束新田(大部分)、中郷新田(一部)、藻池新田、海松新田、大吉新田、松内、下大榑新田(大部分)、下大榑、福束(一部)である[1]

沿革

  • 1873年(明治6年) -
  • 1875年(明治8年) - 塩喰村が単独で塩喰小学校を開校[2]
  • 1885年(明治28年) - 崇文小学校が崇文尋常小学校、騶虞小学校が海松尋常小学校に、それぞれ改称する。
  • 1897年(明治30年)4月1日 - 松内村、下大榑村、下大榑新田、福束新田、中郷新田、藻池新田、海松新田、大吉新田が合併し、仁木村が発足。
  • 1903年(明治36年)
    • 4月 - 崇文尋常小学校と海松尋常小学校が統合し、仁木尋常小学校となる。下大榑(旧・崇文尋常小学校)と海松(旧・海松尋常小学校)を仮校舎とする。
    • 6月 - 仁木尋常高等小学校に改称する。
  • 1905年(明治38年) - 現在地に統合校舎が完成する。
  • 1941年(昭和16年) - 仁木国民学校に改称する。
  • 1947年(昭和22年) - 仁木村立仁木小学校に改称する。
  • 1954年(昭和29年)4月1日 - 大薮町福束村、仁木村が合併し輪之内町が発足。同時に輪之内町立仁木小学校に改称する。
  • 1976年(昭和51年) - 新校舎(鉄筋コンクリート造)、体育館が完成。
  • 1981年(昭和56年) - 校舎(鉄筋コンクリート造)が完成。
  • 1982年(昭和57年) - プールが完成。

脚注

  1. ^ 各種手続きについて(輪之内町教育委員会)
  2. ^ 木曽三川分流工事で敷地が揖斐川河川敷となるため、1897年廃校。(広報輪之内№410 平成元年1月10日号)

関連項目

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