踊るカマルゴ嬢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/15 08:32 UTC 版)
| ロシア語: Портрет танцовщицы Камарго 英語: Mlle Camargo Dancing |
|
| 作者 | ニコラ・ランクレ |
|---|---|
| 製作年 | 18世紀前半 |
| 種類 | キャンバス上に油彩 |
| 寸法 | 45 cm × 55 cm (18 in × 22 in) |
| 所蔵 | エルミタージュ美術館、サンクトペテルブルク |
『踊るカマルゴ嬢』(おどるカマルゴじょう、露: Портрет танцовщицы Камарго、英: Mlle Camargo Dancing)は、18世紀フランス・ロココ期の画家ニコラ・ランクレが18世紀前半 (1730年ごろ[1]) にキャンバス上に油彩で制作した肖像画である。ハインリヒ・フォン・プロイセン (1862-1929年) のコレクションに由来し、1902年にサンクトペテルブルクの冬宮殿 (ロシア革命後はエルミタージュ美術館の一部) からエルミタージュ美術館に移されて以来[2]、同美術館に所蔵されている[1][2][3]。
作品
ニコラ・ランクレは、アントワーヌ・ヴァトーの最も優れた追随者のうちに数えられる[2]。雅宴画の画家たちは舞踏を好んで描いたが、それにより彼らは画中に時間の流れを取り込み、向かい合う男女の恋の成り行きを暗示しようとした。同時に、連続する動作の一瞬を描こうという彼らの興味を看守することもできる。これは画面に不動の時を表そうとする古典主義とは、まったく相反する態度である[1]。
ランクレも、多くの俳優女優たちの舞台上の姿、または演技中の姿を描いた[2]。この小さな肖像画もそうした作品の1つであり、18世紀の最も教養ある女性の1人マリー・カマルゴ (1710-1770年) を表している[2]。彼女の本名はマリー・アンヌ・キュピで、芸名のカマルゴはスペインの高貴な出であった祖母の実家の名である[3]。彼女はオペラで名声を得た舞踏家であった[1]が、哲学者のクロード=アドリアン・エルヴェシウスとヴォルテールの友人でもあった[2]。
カマルゴは古典舞踊の歴史の中で大変重要な役割を果たし、バレエに様々な革新をもたらしたことで知られる[2]。たとえば、古典舞踊を改変するために、複雑で煩瑣な振り付けを簡単なものにした。また、大胆にも長すぎて不便であったスカートを短くし、重たいかつらを止めることで、女性の衣装を軽くした。人々は、人気であったカマルゴのヘアスタイルやファッションを真似たり、彼女に倣って高いハイヒールの靴を履いたりもしている。なお、カマルゴは1751年に舞台を退いたが、その後の人生は淋しいもので、「もはや私を称賛してくれるのは彼ら (飼っていた犬や猫) ばかりと、苦々しく記している。カマルゴが1771年に死去した時、彼女は人々からすっかり忘れ去られていた[3]。
オペラ座の常連で会ったランクレは、カマルゴをよく知っていたと思われる[3]。本作の場面は、いわゆる緑の劇場 (屋外劇場) に設定されている[3]。画家はカマルゴの衣装に多大な注意を払いつつ、彼女が楽団員たちに取り囲まれて軽やかに踊る姿を描いている。詩的な風景からなる背景、金色の彩色、華奢で優雅なカマルゴの表現力豊かな動作には、1730年代までに確立していたロココ様式がはっきりと見て取れる[2]。
この絵画と同様の設定を持つ、よく似た作品がロンドンのウォレス・コレクションとフランスのナント美術館にも所蔵されている。また、カマルゴがパートナーと踊っている姿を描いた類似作がポツダムの新宮殿とナショナル・ギャラリー (ワシントン) に所蔵されている。18-19世紀にはカマルゴを描いた肖像画の模写が15点も競売で売られたということからも、彼女の人気ぶりがうかがわれる[3]。
ランクレの同主題作
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ウォレス・コレクション蔵、1730年
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ナショナル・ギャラリー (ワシントン)蔵、1730年ごろ
脚注
参考文献
- 『大エルミタージュ美術館展 世紀の顔・西欧絵画の400年』、国立新美術館、日本テレビ放送網、読売新聞社、エルミタージュ美術館、2012年刊行
- 五木寛之編著『NHK エルミタージュ美術館 2 ルネサンス・バロック・ロココ』、日本放送出版協会、1989年刊行 ISBN 4-14-008624-6
外部リンク
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