越中国分寺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/02 03:19 UTC 版)
僧寺跡の寺域は、薬師堂を中心とする一辺2町(約216メートル)と推定され、一帯では現在も関連字名が遺存する。薬師堂境内には版築による土壇が残存するほか、推定礎石6個も認められ、僧寺の堂宇跡に比定される(金堂跡か)。しかし伏木台地では近代に瓦用粘土の採取が行われ、他の遺構の多くは削平されているため、伽藍配置等の詳細は明らかでない。 推定寺域では瓦・土器等が多数検出されている。特に瓦の様相は三河国分寺・国分尼寺と似通う点が注目される(越中国から三河国に瓦工人が移動か)。
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