赤穴久清とは? わかりやすく解説

赤穴久清

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/20 14:38 UTC 版)

 
赤穴久清
時代 室町時代後期 - 戦国時代
生誕 文明3年(1471年
死没 天文22年1月26日1553年2月18日
別名 善太郎、安連、郡連、加賀法師
官位 左京亮駿河守(受領名)
主君 京極氏尼子経久
氏族 赤穴氏
父母 父:赤穴幸清
光清、定清、清行、時清

赤穴 久清(あかな ひさきよ)は、室町時代後期から戦国時代にかけての武将尼子氏の家臣。出雲国赤穴城(瀬戸山城)主。

略歴

文明3年(1471年)に赤穴幸清(美作守)の子として誕生[1]

はじめ京極氏に従っていたが、尼子経久下克上で出雲を征服して戦国大名になると、尼子氏の家臣として従った。永正12年(1515年)に長男・光清に家督を譲って隠居した。

天文11年(1542年)7月に大内義隆の侵攻(第一次月山富田城の戦い)で光清が戦死すると、孫の盛清に家督を継がせて、自らはその後見人を務め、大内・毛利氏の侵攻から瀬戸山城を守りきり、光清と同じように尼子氏に忠誠を尽くした。

天文22年(1553年)1月26日に死去。享年83。

脚注

  1. ^ 久清の孫にも同名の幸清(右京亮)がいる。

参考文献





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