赤城神社 (川越市山田)とは? わかりやすく解説

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赤城神社 (川越市山田)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/10 12:10 UTC 版)

赤城神社
所在地 埼玉県川越市山田225-1
位置 北緯35度56分43.7秒 東経139度28分40.3秒 / 北緯35.945472度 東経139.477861度 / 35.945472; 139.477861 (赤城神社 (川越市山田))座標: 北緯35度56分43.7秒 東経139度28分40.3秒 / 北緯35.945472度 東経139.477861度 / 35.945472; 139.477861 (赤城神社 (川越市山田))
主祭神 誉田別尊
社格 村社
創建 不詳
別名 北山田八幡神社
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赤城神社(あかぎじんじゃ)は、埼玉県川越市神社

歴史

創建年代は不明である。ただ当社が所蔵している厨子には「文禄癸巳年(1593年)」と記されていることから、その頃までには既に存在していたものと推測される[1]

1872年明治5年)、近代社格制度に基づく「村社」に列せられた。そして「山王社」から「日吉神社」に改称した。1900年(明治33年)、これまで当社は旧別当寺だった「教学院」跡地に住んだ岩田家の邸宅内に位置していたが、村社が個人宅にあるのは不適当ということから、現在地に移転した[1]

1909年(明治42年)の神社合祀により周辺の6社が合祀され、その中の福田にあった村社「赤城神社」の社殿を移築し、社名も「赤城神社」に改称した[1]

1958年昭和33年)、合祀された6社のうち4社は、旧社の氏子の要望によって復祀されることになった。社名の由来となった福田の福田赤城神社も復祀された。それに伴い、当社も旧称の「日吉神社」に戻す意見もあったが、復祀しなかった残りの2社が「八幡神社」であること、もとの日吉社が当社の摂末社として別に祀られていることから、「八幡神社」に改称し、鳥居の額も「八幡神社」とした。しかし登記上は「赤城神社」のままとなっている[1]

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b c d 埼玉県神社庁神社調査団 編『埼玉の神社 入間・北埼玉・秩父』埼玉県神社庁、1986年、4-5p

参考文献

  • 埼玉県神社庁神社調査団 編『埼玉の神社 入間・北埼玉・秩父』埼玉県神社庁、1986年



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