財団・社団における名誉書記
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/17 07:09 UTC 版)
「名誉書記」の記事における「財団・社団における名誉書記」の解説
日本では、明治時代から置かれていた名誉職で、1883年(明治16年)に創立した鹿鳴館では外国人名誉書記としてトーマス・グラバーが招聘されていたことが知られている。1898年(明治31年)、公爵近衛篤麿、子爵岡部長職及び法学博士鳩山和夫らの発起により、各界の親睦を図る目的で日本倶楽部が創立された際には、同倶楽部名誉書記名義で案内文が出されており、当時、伯爵だった大隈重信が受領した「日本倶楽部名誉書記書翰」は現在も早稲田大学で所蔵されている。 また、渋沢栄一の生前の日記や逸話をまとめた『渋沢栄一伝記資料』によれば、1927年(昭和2年)12月26日、日米親善事業を営んでいたニュー・ヨーク日本協会協賛会名誉書記を務めていた小野英二郎が死去し、渋沢が名誉会長として葬儀で弔辞を読んだことが記されている。
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