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豊永光

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/26 06:18 UTC 版)

豊永光
ゆたか えいこう
生年月日 1916年10月3日
出生地 日本 鹿児島県
没年月日 (2001-07-12) 2001年7月12日(84歳没)
出身校 東京帝国大学法学部卒業
前職 熊本営林局長
所属政党 無所属→)
自由民主党→)
無所属
選挙区 旧奄美群島区
当選回数 1回
在任期間 1969年12月27日 - 1972年11月13日
当選回数 1回
在任期間 1986年2月20日 - 1990年2月19日
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豊 永光(ゆたか えいこう、1916年10月3日[1] - 2001年7月12日[2])は、日本の政治家自由民主党衆議院議員(1期)。名瀬市(1期)。

経歴

鹿児島県名瀬市奄美市)出身[3]鹿児島県立大島中学校 (旧制)四年修了で第七高等学校造士館 (旧制)に進学、卒業[4]1939年高等試験行政科試験に合格[5]、翌年東京帝国大学法学部を卒業[6]農林省に入り、畜産局資料課長、大臣官房広報課長、大阪、熊本の各営林局長となり[6]1967年第31回衆議院議員総選挙奄美群島区から無所属で立候補したが落選[7]1969年第32回衆議院議員総選挙保岡武久を破り、初当選した。しかし、1972年第33回衆議院議員総選挙では保岡武久の息子の保岡興治に敗れて落選。次の第34回衆議院議員総選挙でも立候補したが落選した。

1986年の名瀬市長選挙に立候補して当選[1]。1期務めた。

1990年名瀬市長選挙

1990年の市長選挙では徳田虎雄の支援を受けたが、保岡興治の支援を受けた前名瀬市助役の成田広男に674票差で敗れた[8][9]。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:87.03%(前回比:-pts)

候補者名 年齢 所属党派 新旧別 得票数 得票率 推薦・支持
成田広男 64 無所属 14,033票 51.2% -
豊永光 73 無所属 13,359票 48.8% -

1994年の市長選挙に再び立候補したが、現職の成田に敗れた。2001年死去。

脚注

  1. ^ a b 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』574頁。
  2. ^ 新訂 政治家人名事典 明治~昭和『豊 永光』 - コトバンク
  3. ^ 南日本新聞社 編『郷土人系 上』春苑堂書店、1969年、188-189頁。
  4. ^ 右田昭進 編著『奄美(しまんちゅ)の群像 奄美が生んだ20世紀の人物総覧』(交文社、2000年)84頁。
  5. ^ 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』335頁。
  6. ^ a b 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』699頁。
  7. ^ 国会便覧 昭和44年版 第38版』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  8. ^ 新聞研究 (465)』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  9. ^ 月刊社会党 (415)』 - 国立国会図書館デジタルコレクション

参考文献

  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』日外アソシエーツ、2005年。
公職
先代
大津鉄治
鹿児島県名瀬市長
1986年 - 1990年
次代
成田広男



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