謀書の疑い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 15:41 UTC 版)
真言宗の祖かつ三筆に数えられる能書家であることから、後世、謀書も作られたと言われている。例えば、天長3年(826年)3月5日に、高弟の真雅に唯授一人の印信(いんじん、奥義伝授の証明書)を授け、その『天長印信』というものが中世まで真言宗醍醐派の醍醐寺の至宝として伝わっていたが、後の研究では『天長印信』は謀書の一つと考えられている。 南北朝時代の延元4年/暦応2年(1339年)には、空海に帰依する後醍醐天皇が筆写しており、その作品『後醍醐天皇宸翰天長印信(蠟牋)』は国宝に指定されている。
※この「謀書の疑い」の解説は、「空海」の解説の一部です。
「謀書の疑い」を含む「空海」の記事については、「空海」の概要を参照ください。
- 謀書の疑いのページへのリンク