諸分枝の形成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/14 07:08 UTC 版)
ループレヒト3世の息子の代でプファルツ家の分枝が形成されるようになった。すなわち、次男であるルートヴィヒ3世は選帝侯位を継承してプファルツ選帝侯家、三男であるヨハンはプファルツ=ノイマルクト家、四男であるシュテファンはプファルツ=ジンメルン=ツヴァイブリュッケン家の、五男で末子であるオットー1世がプファルツ=モスバッハ家のそれぞれの祖となっている。この内、三男のヨハンはカルマル同盟の君主エーリク・ア・ポンメルンの妹カタリーナと結婚したことにより、2人の息子であるクリストファはカルマル同盟の君主に選出されるも1448年に子を残すことなく死去したことで断絶して、その遺領の大半は叔父であるオットー1世が継承するも、それも息子のオットー2世の代で断絶して遺領はルートヴィヒ3世の孫である本宗家のフィリップによって回収された。これ以降、プファルツの地は本家であるプファルツ選帝侯家が選帝侯として本領を統治し、分家のプファルツ=ジンメルン=ツヴァイブリュッケン家(後にプファルツ=ジンメルン家とプファルツ=ツヴァイブリュッケン家に分離)が残りの領地を統治するところとなった。
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