プファルツ=モスバッハ=ノイマルクト
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/06/14 15:42 UTC 版)
プファルツ=モスバッハ=ノイマルクト(Pfalz-Mosbach-Neumarkt)は、現在のドイツ・バーデン=ヴュルテンベルク州北部のモスバッハとエーバーバッハ及びバイエルン州のオーバープファルツにあった神聖ローマ帝国の領邦の一つである。
プファルツ=モスバッハ=ノイマルクトはプファルツ=モスバッハ公オットー1世が1448年にプファルツ=ノイマルクト全域を獲得したことに始まる。オットー1世の後継者であるオットー2世はノイシェーネンベルクのヴォルフシュタインの城を獲得したことで、長らく続いたヴィッテルスバッハ家とヴォルフシュタイン家の争いに終止符を打った。1499年にオットー2世が後継者を残さずして死ぬと、その領域の全権利はプファルツ選帝侯フィリップに渡った。
名前 |
備考 |
---|---|
オットー1世 | 1448年 - 1461年 |
オットー2世 | 1461年 - 1499年 |
プファルツ=モスバッハ家
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「プファルツ家」の記事における「プファルツ=モスバッハ家」の解説
「プファルツ=モスバッハ」および「プファルツ=モスバッハ=ノイマルクト」も参照 神聖ローマ皇帝ループレヒトの五男オットー1世がモスバッハ公領を継承したことに始まる。オットー1世の息子オットー2世はノイマルクト家断絶を受けてその遺領も継承してプファルツ=モスバッハ=ノイマルクトを形成したが、嗣子残さずして1499年に死去したことで断絶。遺領は選帝侯家のフィリップによって回収された。
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