許儀とは? わかりやすく解説

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許儀Xu Yi

キョギ

(?~263
牙門

沛国譙の人。許褚の子許綜の父《許褚伝》。

許褚亡くなると牟郷侯七百戸を相続した景元四年(二六三)秋、鎮西将軍鍾会に従って討伐参加した。許儀は先遣隊として斜谷・駱谷の道路整備担当したが、に穴が開いて後方の馬が足を踏みはずしたため、鍾会処刑された。許儀は許褚の子として王室功績があったが、それでも減免されず、諸軍震えおののいた鍾会伝》。

参照許綜 / 許褚 / 鍾会 / 譙県 / 蜀 / 沛国 / 牟郷 / 斜谷 / 駱谷 / 郷侯 / 鎮西将軍


許儀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/25 16:42 UTC 版)

許 儀(きょ ぎ、拼音: Xŭ Yí、? - 263年)は、中国三国時代武将許褚の子。許綜の父。

父の死後、牟郷侯を相続した。

263年、司馬昭の命により蜀漢侵攻が始まると、許儀は鍾会の軍に従って参戦した。このとき、鍾会の命により橋の架橋を命じられたが、鍾会が橋を渡ろうとしたとき、乗っている馬が脚をとられたため鍾会は落馬した。鍾会はこれを橋の不備によるものだと怒り、許儀を殺害してしまった。このとき、周囲の面々が鍾会に対し、許儀は許褚の子であるから命だけは助けるべきと嘆願したが、鍾会は受け入れなかったと言う。

家系図

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
許定 許褚
 
 
許儀
 
 
許綜


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