解放同盟離脱後の主張
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 07:12 UTC 版)
正常化連として活動していた時期には、解放同盟内で活動していた時と同様の主張を繰り返していたが、国民的融合論が日本共産党の路線として提示され、『今日の部落問題』に典型的に見られる中西の主張が党によって否定されると、旧来の立場から一転してそのイデオローグとなり、その変節の理由については一切の釈明を行わないまま「部落差別を二十一世紀にもちこさない」「部落問題解決の最終責任は地区住民と運動体の側にある」などを合言葉に、部落解放運動を主導した。同和行政に関する窓口一本化問題についても、解放同盟の活動家であったときにはその正当性を主張していたが、同盟から離れると一転してそれを批判する立場に転向した。
※この「解放同盟離脱後の主張」の解説は、「中西義雄」の解説の一部です。
「解放同盟離脱後の主張」を含む「中西義雄」の記事については、「中西義雄」の概要を参照ください。
- 解放同盟離脱後の主張のページへのリンク