観音院 (葛飾区)とは? わかりやすく解説

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観音院 (葛飾区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/16 16:27 UTC 版)

観音院
所在地 東京都葛飾区小菅1-19-14
位置 北緯35度45分19.2秒 東経139度49分10.9秒 / 北緯35.755333度 東経139.819694度 / 35.755333; 139.819694 (観音院 (葛飾区))座標: 北緯35度45分19.2秒 東経139度49分10.9秒 / 北緯35.755333度 東経139.819694度 / 35.755333; 139.819694 (観音院 (葛飾区))
山号 南明山
院号 観音院
宗派 天台宗
本尊 准胝観世音菩薩
創建年 不詳
別称 小菅の半僧坊
法人番号 9011805000357
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観音院(かんのんいん)は、東京都葛飾区にある天台宗寺院

歴史

創建年代は不明である。1611年慶長16年)に江戸橋田所町(現・東京都中央区日本橋堀留町)から谷町に、1644年正保元年)に浅草新寺町に移転した[1]

1892年明治25年)に現在地に移転した[1]

小菅の半僧坊

明治初期に、「半僧坊大権現像」を携えた修験者が当地に小堂を建てて安置したのが起源である。「半僧坊大権現」とは、臨済宗方広寺派大本山方広寺を守護したという神である。地元住民は「綾瀬講」を結成して、半僧坊を祀っていた[2]

そして綾瀬講の協力により、観音院が移転したものである。つまり、観音院よりも半僧坊を祀る小堂の方が先だったことから、今なお「小菅の半僧坊」とも呼ばれている[1][2]

かつては毎月17日が縁日であった。一時期の中断を経て、1985年昭和60年)より、4月17日10月17日に開かれるようになった[2]

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b c 葛飾区教育委員会社会教育課 編『葛飾区寺院調査報告 上』葛飾区教育委員会、1979年、34-35p
  2. ^ a b c 南明山寿福寺 觀音院(観音院|通称:半僧さん)天台宗東京教区

参考文献

  • 葛飾区教育委員会社会教育課 編『葛飾区寺院調査報告 上』葛飾区教育委員会、1979年



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