要塞化と自治市昇格
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/31 17:54 UTC 版)
市民は1569年、税の還付金をつかって街の周囲に市壁をめぐらせた。しかしデスモンドの反乱が収束すると、エリザベス1世は町を自治市に昇格するとともに市壁の建設を認めたため、これは骨折り損になってしまった。壁の痕跡は今でも見ることができ、また通りの区画はかつての土地所有制度を如実に物語っている。 エリザベス1世は前述のように自治市昇格の特許状を下賜したが、実際には1607年にようやく与えられた。同年3月2日に後代のジェームズ1世が文書に調印したものの、自治市とその行政機関は22年前からすでに存在していた。行政の長はソバーラン(原義は「君主」)で、市長の役割。これに12人の評議員が、年に一度開かれる聖ミカエルの宴で選ばれた。行政は教会の半径2マイルをその管轄域とし、ディングル、ベントリー、スマーウィック、バリーフェリターの「弓矢の射程距離」を支配する船団を備えていた。選挙区も新設され、2名の議員をアイルランド国会に送り込めるようになった。
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