行政・治安関連
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 17:19 UTC 版)
開封では中心からやや北東にずれた位置に、臨安では南の鳳凰山の麓に宮城が作られている。「天子南面」というように本来宮城とは都市の北部に置かれるもので、南に宮城が作られた臨安は歴代でも極めて特異な首都となった。 都市全体の大きさは長安と比べやや小さい程度だが、宮城は長安と比べかなり狭い区画であった。そのため、必要な官庁が全て収まりきらず、外側にはみ出していた。外側の官庁の中には民間からの借家もあったという。宮城の周りには自然官僚が住みたがり、一等地を形成する。 開封では各所に禁軍の詰め所が置かれ、治安維持に当たった。夜の三更から五更までは城門が閉じられ、かつ場内でも外出禁止とされた。夜間は都市の各所を見回り、外出者には注意をしていた。つ 北宋末期の徽宗時代、『東京夢華録』に記される夜を徹しての市が有名である。
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