藤田与志男とは? わかりやすく解説

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藤田与志男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/25 18:37 UTC 版)

ふじた よしお

藤田 与志男
生誕 1941年[1]
日本 東京都渋谷区[1]
死没 2008年5月10日(67歳没)[2]
出身校 青山学院大学経済学部[1]
職業
肩書き
  • 株式会社ダーハム 代表取締役[2]
    株式会社ダスコ 代表取締役社長
配偶者 藤田 在子[1]
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藤田 与志男(ふじた よしお、1941年[1] - 2008年5月10日[2])は、日本実業家馬主

かつての馬主登録の表記は藤田 與志男であった。

経歴

東京都渋谷区に生まれ、杉並区で育つ[1]青山学院大学経済学部を卒業後、フジテレビの関連企業に就職、海外系の部署に配属されたのち、28歳で退社しアメリカ合衆国に渡り、ノースカロライナ州の大学に留学する[1]。その後、輸入貿易業の会社を設立した[1]

2008年、体調不良により4月から入院していたが[3]5月10日心不全により死去[2]。67歳没。

馬主活動

藤田の勝負服

日本中央競馬会(JRA)および地方競馬全国協会(NAR)に登録する馬主として知られた。勝負服の柄は水色、赤縦縞、袖赤一本輪(以前は紫、袖黄元禄)を使用し、冠名には自身が犬好きなことから「シベリアン」や、愛犬のマルチーズに由来する[1]「マルターズ」を用いたが[3]、冠名のない馬も所有した。育成馬の多くは吉澤ステーブルに預託していた。

兄とともに学生時代から競馬場に通っていたという[1]。馬主になったきっかけは「アメリカでしょうね」と語り[1]、米国在住時に仕事の付き合いから知り合ったカイザー・キンメル[注 1]とジョン・キンメル[注 2]父子に「ヘイロー系の牝馬が欲しい」と相談し購入したアファームドヘイローが初の所有馬となる[1]

口取り時には必ず野球帽姿で参加していた[1]

来歴

藤田在子

主な所有馬

JpnⅠ級競走優勝馬

重賞競走優勝馬

その他の所有馬

藤田在子の所有馬

脚注

注釈

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 週刊競馬ブック 2008年1月20日号 P194-195
  2. ^ a b c d e f ゴスホークケンの馬主、藤田与志男氏が死去”. netkeiba.com. ネットドリーマーズ (2008年5月13日). 2023年3月3日閲覧。
  3. ^ a b ゴスホークケンなどの馬主、藤田与志男氏が死去”. スポーツ報知. 報知新聞社 (2008年5月13日). 2008年5月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月9日閲覧。

参考文献




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