藤山議員襲撃・三木首相殴打事件
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「大日本愛国党」の記事における「藤山議員襲撃・三木首相殴打事件」の解説
大日本愛国党の書記長を務めた筆保泰禎(ふでやす ひろよし、1940年10月25日 - 2005年5月4日)は、複数回のテロ事件を起こした。1972年3月22日、羽田空港から中国へ出発しようとしていた衆議院議員の藤山愛一郎に硫酸をかけようとして逮捕された。更に1975年6月16日、日本武道館で行われた佐藤栄作元首相の国民葬の席において、当時の総理大臣だった三木武夫の顔を殴打する事件を起こした。三木は倒れこんだものの大きな怪我は無く、国民葬は予定通り進められた。なお、三木夫人の睦子は大日本愛国党総裁の赤尾敏とかねてからの知り合いで、事件後に睦子は赤尾敏に対して直接抗議をしたという。三木には警視庁の警察官が護衛として配置されていたが、やや離れた場所にいた上に三木の進行方向ばかりに気を取られ、犯行への対応が遅れた。このため警視庁は新たな要人警護の組織を作ることになり、3ヵ月後にセキュリティポリスが創設された。
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