藤堂元晋とは? わかりやすく解説

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藤堂元晋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/30 14:12 UTC 版)

 
藤堂元晋
時代 江戸時代
生誕 文化14年(1817年
死没 明治8年(1875年10月22日
改名 度五郎(幼名)→元常(初名)→元晋
別名 采女(通称)、猶水(号)
墓所 伊賀市西蓮寺
主君 藤堂高兌高猷高潔
伊勢国津藩
氏族 藤堂氏
父母 父:藤堂高允、養父:藤堂元孝
兄弟 元晋
正室:経(藤堂元孝の娘、後に三千と改名)
元施高節
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藤堂 元晋(とうどう もとつぐ)は、伊勢国津藩藤堂采女家第8代。伊賀国上野城代。

家系

藤堂采女家は、藤堂高虎に仕え藤堂姓を与えられた藤堂元則に始まり、代々の当主が「采女」の通称を名乗る。初代元則以降伊賀上野城代を世襲した。

略歴

文化14年(1817年)、津藩藩主藤堂高兌の四男高允の次男として生まれる。幼名は「度五郎」。

文政4年(1821年)8月、采女家7代の元孝が嫡子の無いまま早世したため、同年9月、采女家の願いにより、伯父の藩主高猷に命じられ采女家を相続することとなった。幼い度五郎は城代の任務を果たせないため、代々世襲していた采女家の城代職は剥奪され、津本藩の家老が交替で伊賀の政務を執ることとなった。

天保11年(1840年)3月、24歳で藩主高猷の命により伊賀上野城代となる。元治元年(1864年)隠居して家督と城代職を嫡子元施に譲り、隠居号を「猶水」と名乗った。

明治8年(1875年)10月22日死去。享年58。

参考文献

  • 上野市古文献刊行会編「庁事類編 藤堂藩伊賀城代家老日誌」
  • 久保文武著「伊賀史叢考」



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