藤原薩雄との同一人物説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/30 01:39 UTC 版)
『尊卑分脈』において、刷雄の兄弟とされている藤原薩雄を刷雄と同一人物とする説がある。 薗田香融は『続日本紀』にある天平宝字2年の無位から従五位下とする記述は当時の遣唐留学生の叙位としては異例なだけではなく、当時健在であった4人の兄の位階の昇進の例(いずれも正六位上から従五位下に昇進している)を越してしまう事を指摘してこの記事には誤りが含まれているとして、『続日本紀』天平宝字3年6月庚戌に正六位上から従五位下に叙された薩雄を刷雄と同一人物とする説を述べている。 一方、岸俊男によると、両者は別人とするのが正しいとされている。 その後、吉川敏子は天平宝字2年の父・仲麻呂の「恵美押勝」改名と前後して若い頃に仏道修行をしていた刷雄に「菩薩」に通じる“薩”の字が与えられ、恵美押勝の乱の際に剥奪されて旧名の刷雄に戻されたとすれば、両者が同一人物としての説明が可能であると唱えている。
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