蔡秉徳との確執
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 09:18 UTC 版)
李亨根は、南朝鮮国防警備隊の創設要員を養成するために設立された軍事英語学校を第1期生でトップの成績で卒業した。この時の軍籍番号は李亨根が軍番1番、のちに2代目の韓国軍参謀総長になる蔡秉徳が軍番2番であった。軍籍番号は慣例として席次順を示すもので、衆目は蔡秉徳が軍番1番になると考えていた。しかし軍事英語学校での軍籍番号は卒業日次と英語能力での順位付けで、年下の李亨根が首席となった。このことはふたりの間に反目を生んだ。ふたりはもとよりウマが合わず日本陸軍士官学校時代から口もきかない仲だった。中国大陸で実戦を重ねていた李亨根に対し、技術畑の蔡秉徳は戦場体験もなかった。陸士49期の蔡秉徳にとっての李亨根は7期も後輩であり、日本陸軍時代に少佐まで昇進していた蔡秉徳からすれば大尉任官は降格でもあった。
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