葬送・供養
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 04:54 UTC 版)
人々傍より奪ひ取る様に賞して、子共が殖え置て常に愛しける千種華苑の山に送りつつ、諸行無常の暮の煙に類へてんげり。(中略)ここに宇佐美禅師とて、駿河の国平沢の山寺にぞありける、本は久能法師なり。(中略)急ぎ富士野に尋ね入り、二人の死屍を葬送しつつ、骨をば頸に懸けて、6月3日には曽我の里へ入る(巻十) 兄弟の首は頼朝の命により尾河三郎によって曽我の里へ送られ、里の千種華苑の山で火葬された。また首以外の部分については、駿河国の宇佐美禅師が富士野にて葬送を執り行った。葬送後に宇佐美禅師は曽我の里に赴き、兄弟の骨は曽我の里へと届けられた。 鎌倉殿は富士野を出で御在して…(中略)鎌倉殿打低樋かせ給ひつつ、「母の悲しみこそあるらめ。自今以後曾我の荘の年貢弁済においては、二人の者共が供養のために母に取らするなり(中略)公役御免の御教書を賜りて、曾我の里とぞ返りける(巻十) 頼朝は富士野を出ると曽我太郎助信を呼び、曾我荘の年貢を今後免除することを伝えた上でそれを曽我兄弟の供養のため用いるよう命じた。事件後に虎は仇討ちの現場であり十郎最期の地である富士野の伊出の屋形を弔問し、その後再度伊出の屋形に訪問するため出立している(巻十)。
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