深川造船所とは? わかりやすく解説

深川造船所

(若津鉄工所 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/06 14:02 UTC 版)

深川造船所(ふかがわぞうせんじょ)はかつて福岡県に工場を所有していた船舶鉄道車両機械メーカー。明治時代に勃興し、大正時代佐賀県において全盛期を迎えた地方財閥の一つである深川家によって創設され、同家の没落と共にその役割を終えた。


注釈

  1. ^ 佐賀郡久保田村福富において代々造り酒屋を営んでいた佐賀藩御用商人の古賀家長子で、20代までは家業である酒造業に就いていた。
  2. ^ 神幸丸・涼風丸・長永丸・天幸丸・芳風丸など。
  3. ^ 若津港自体は筑後川に面した河港で、佐賀平野の農作物の他、明治時代前期には日田地方で産出する木材の積出港として殷賑を極めた。
  4. ^ この竪削盤は後述するように流転の末、1998年に北九州市若松車輛が工場を閉鎖するまで現役で使用され、現在は国立科学博物館に収蔵・展示されている。
  5. ^ 喜次郎本人にも技術者としての才が受け継がれていたのか、それとも急逝した文十の考案したものを相続したのか、日本で独自に設計・製造されたものとしては最初の蒸気動車の特許が深川喜次郎名義で1908年に出願され、1909年に成立している。この蒸気動車は片運転台式であったことがネックとなり製品としては成功しなかったとされる。もっとも、この蒸気動車は、船舶で一般的であった水管式ボイラーを採用し、動台車のセンターピン部分を多重構造の同軸管として蒸気圧やブレーキ力の台車への伝達に用いるなど、極めて野心的かつ斬新な設計が採用されており、単に小型の煙管ボイラー搭載蒸気機関車を客車車体に内蔵して両端から操作可能にしたにすぎない、工藤式に代表される後続の日本製蒸気動車群とは一線を画するものであった。なお、この蒸気動車についてはほとんど記録が残されていないが、佐賀市史第4巻p.176に不鮮明ながら1910年の福岡共進会に展示された際に撮影されたとおぼしき実車写真が掲載されており、浅いシングルルーフ上にそろばん玉状の火の粉止め付き煙突を載せた、極めてコンパクトなボギー車であったことが確認できる。
  6. ^ この時代の筑紫平野周辺地域には、馬車鉄道・軌道などとして、日本の他の地域にほとんど例を見ない、3フィート軌間の鉄軌道が稠密に発達していた。三潴軌道もその1つである。
  7. ^ 深川文十が三潴軌道の発起人の一人として関与している。
  8. ^ これもそもそも熱海鉄道向けにアメリカから輸入した、トラム・ロコと呼ばれる軌道線用小型蒸気機関車を模倣したもので、雨宮製作所あるいは大日本軌道と関係のあった、あるいは大日本軌道の支社であった各鉄道・軌道へ納入された。ボイラー中心が極端に低く、その両脇に細長い水タンクを設けた、独特の形状で知られる。なお、「へっつい」型という呼称は、作中で熱海軌道を描写した志賀直哉の『真鶴』での「小さい事、まるでへっついだな」という形容に由来する。
  9. ^ 江戸時代から船大工や大川家具の製造に携わる職人達が居住して町を形成していた。
  10. ^ 1918年頃には小作用地の管理を行う農業部と、深川家の一族およびその小作人に対する貯蓄・融資・資金運用を担当する金融部に組織が分化した。なお、この金融部は深川家とその小作人以外を顧客とすることはなく、その点で通常の銀行とは性格を異にしていた。
  11. ^ 地所株式会社は佐賀と長崎に合わせて550町歩、種子島に831町歩、さらに朝鮮の平安北道鴨緑江にある薪島に1,524町歩、と広大な土地を保有していた。
  12. ^ 排水量578t、木造、1904年三重大湊造船所製。
  13. ^ [1]
  14. ^ [2]
  15. ^ 1985年の若松車輌倒産とこれに伴う和議手続きの過程でそのような処理が行われた。なお、若松車輌の法人格は既に消滅したが今村製作所の法人格はその後もそのまま登記記録の閉鎖が行われることなく存在し続け、2016年2月3日に至ってようやく登記官の職権で閉鎖手続きが行われている[3]

出典

  1. ^ a b c d e f g 佐賀市史第4巻 pp.172-174。
  2. ^ 『日本全国諸会社役員録. 明治30年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  3. ^ a b c d e f 佐賀市史第4巻 pp.174-176。
  4. ^ a b 佐賀市史第4巻 pp.169-171。
  5. ^ 『日本全国諸会社役員録. 明治28年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  6. ^ a b 日本の蒸気動車(上) pp.12-13。
  7. ^ 「広島・呉の路面電車 第1号は大川製 明治時代の写真などで確認」2021/1/26 6:04 西日本新聞 筑後版
  8. ^ 大川市誌 p.630。
  9. ^ 鉄道ピクトリアル No.668 p.125。
  10. ^ 『日本全国諸会社役員録. 第26回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  11. ^ 『帝国銀行会社要録 : 附・職員録. 大正8年(8版)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  12. ^ 『日本全国諸会社役員録. 第26回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  13. ^ 鉄道史料 第100号 p.11。


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