若一王子神社の創建
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 23:26 UTC 版)
「若一王子神社 (曽於市)」の記事における「若一王子神社の創建」の解説
薩隅地に班田収授が行われたのは、延暦19年(800年)12月であったが、せっかくの班田制も結実せず、また旧に還って墾田状態が久しく続いた。後一条天皇の万寿3年(1026年)正月20日大宰府の大監平朝臣季基により弟判官良宗と共に現在の都城市の本庄、三俣院に至り、同地を領し近郷一円に荘園の拡大を図り、後に日本最大の荘園となる島津荘の原型を作った。 同年9月9日、梅北(現:都城市梅北町)の地に守護神として神柱宮を創建し、自ら司官となったが、その後荘園を藤原頼通に献上し、その管理を婿の肝付兼貞に譲って箸野に隠居し、同年12月29日当社を建て、晩年を司官として本明屋敷にて余生を送った。その後に祠があり、木造が祭ってあり近くには墓がある。
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