苗代川村の成立と近世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 00:57 UTC 版)
「東市来町美山」の記事における「苗代川村の成立と近世」の解説
苗代川という地名は江戸時代より見え、薩摩国日置郡伊集院郷(外城)のうちであった。村高は延享年間には280石余、「旧高旧領取調帳」には253石余であった。慶長10年(1605年)には市来郷から87石余が分けられ、寛文9年(1669年)には伊集院郷の宮田村(現在の東市来町宮田)・寺脇村(現在の伊集院町寺脇・東市来町寺脇)・大田村(現在の伊集院町大田)の200石余が苗代川村に与えられたとされる。陶工の中から朴平意が庄屋に選ばれ、扶持米4石余が支給された。苗代川村には薩摩街道が通っていた。 「伊集院郷土史」・「東市来町郷土史」・「三州御治世要覧」によれば古くは市来郷養母村(現在の日置市東市来町養母)に属していたとされる。「郡村高辻帳」、「天保郷帳」には苗代川村の名前はみえない。
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