芝原上水の開設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 15:04 UTC 版)
福井城下の地下水は鉄分が多く、上水道として使用するには不向きであったため、城下の武家、町方の飲用とするために、1601年(慶長6年)国家老本多富正によって水路工事が行われた。福井藩初代となる結城秀康が北庄築城の際、本多富正に命じたと伝えられている。古くから灌漑用水として造られていた旧北庄用水を拡充して整備された。志比堺村を取水口とし、九頭竜川から城下口まで三間の川幅があった。主に福井城下に住む人々の飲料水として利用された他、約4万石の水田を養う農業用水としても使用される。重要な飲料水源、農業用水としての役割を担っていたため、水の衛生を保つための厳しい法令や規則も定められていた。
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