至誠・勤労・分度・推譲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/27 14:02 UTC 版)
至誠 道心にそったこころの状態を報徳教では誠とよぶ。この誠は儒教で言うところの徳や仁という概念に等しいものである。つまり、大極にたいして積極的に向かっていく暮らしとは、まず誠を尽くしたものでなければならない。我の心を大極と積極的にかかわる状態、つまり誠・徳・仁の状態に置くことを「至誠(しせい)」とよび、至誠がまず実践の第一をなす。 勤労 この至誠の状態で日常生活のすべての選択を行っていくことを「勤労(きんろう)」とよぶ。至誠がこころの状態をさすのに対し、勤労はそれが行動になって現れた状態をさすのである。そのため、勤労とは働くことを含むが単に働くことをさすのではない。 分度 勤労することで日常のすべての行動が誠の状態から行われるため、当然それは消費活動にも現れる。無駄がなくなり、贅沢を自ずから慎むようになる。これを「分度(ぶんど)」という。つまり、分度とはけちをすることではなく、至誠から勤労した結果に自然と使わざるをえないもののみを使うということを意味する。 推譲 そして、最後に分度して残った剰余を他に譲ることを「推譲(すいじょう)」とよぶ。分度と同様に、推譲は単なる贈与なのではなくて、至誠・勤労・分度の結果として残ったものを譲ってはじめて推譲になるのである。
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