実践としての報徳の教え
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/27 14:02 UTC 版)
以上のように、道心を立てた結果として、至誠・勤労・分度・推譲を行っていくことではじめて人は物質的にも精神的にも豊かに暮らすことができるというのが報徳教の根本的論理である。ここで論理というとき、それが教えそのものでないことに注意が必要である。報徳の教えの真髄とは、これらの至誠・勤労・分度・推譲の実践のなかでいかに徳が徳によって報われていくかということを見極めることにある。この実践のなかで初めて理解できる言語化できないものこそに報徳の教えの真髄があり、尊徳が「見えぬ経をよむ」という言葉で示しているのはまさにこのことをさす。また尊徳が、たんに本を読むだけで実践につながらない態度を諌めて「たんなる本読み」になってはいけないと語ったのも同様の事情によるものである。
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