腸チフスからの回復
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 03:30 UTC 版)
「エドワード7世 (イギリス王)」の記事における「腸チフスからの回復」の解説
1871年11月末にバーティは父アルバートの死因となった腸チフスを患い、12月に入ると危篤状態に陥った。これには共和政への移行を論じていた新聞や雑誌も含めて国中が心配した。普段はバーティに厳しい女王もこの時ばかりは2週間にわたってバーティの看病に付きっきりになった。 ちょうどアルバートの命日の12月14日にバーティは奇跡的に意識を取り戻し、以降病状は快方に向かった。まるで亡きアルバートがバーティを救ったかのような劇的な展開に国中が歓喜した。首相グラッドストンはこれを王室人気を回復させる好機と見て、女王の許可も得て1872年2月27日にセント・ポール大聖堂で1万2000人を招待した皇太子回復感謝礼拝を挙行した。礼拝を終えて宮殿へ戻る女王とバーティは、沿道に集まった人々から「女王陛下万歳」「皇太子殿下万歳」という熱狂的な歓声を受けた。これにより王室廃止論はほぼ吹き飛んだ。
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