聖鬼軍結成
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鶴田が肝炎で第一線を退いた後は、超世代軍を離脱した川田とコンビを結成する。このコンビは「聖鬼軍」を名乗り、2000年に大量離脱・ノア発足で田上が全日本を退団するまでトップ戦線で活躍した。世界タッグ王座史上最多となる6度の載冠を果たしている。 1996年には、チャンピオン・カーニバル、三冠ヘビー級王座、世界タッグ王座、世界最強タッグ決定リーグ戦を全て制する活躍を見せた(グランドスラム)。 1996年5月24日の三冠ヘビー級選手権試合において、シングルマッチで三沢光晴から初勝利をあげる。四天王の中では初の快挙となった。 その後も、川田とのタッグを中心にプロレス四天王の一員として三沢や小橋、スタン・ハンセンらと激闘を繰り広げた。しかし馬場が亡くなった1999年には、馬場没後初の三冠戦でベイダーとの王座決定戦を戦うが、敗れた。世界最強タッグ決定リーグ戦では川田の欠場もあり、ハンセンとのタッグで準優勝に終わる。 1999年5月に三沢が全日本社長に就任した新役員体制では、取締役に就いた。
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