聖ステファノの殉教 (フアン・デ・フアネス)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/27 04:28 UTC 版)
スペイン語: Martirio di San Esteban 英語: The Martyrdome of Saint Stephen |
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作者 | フアン・デ・フアネス |
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製作年 | 1555-1562年ごろ |
種類 | 板上に油彩 |
寸法 | 160 cm × 123 cm (63 in × 48 in) |
所蔵 | プラド美術館、マドリード |
『聖ステファノの殉教』(せいステファノのじゅんきょう、西: Martirio di San Esteban、英: The Martyrdome of Saint Stephen)は、スペインのルネサンス期の画家フアン・デ・フアネスが1555-1562年に板上に油彩で制作した絵画である。聖ステファノの生涯の場面を表すほかの4点とともにバレンシアのサン・エステバン教会の祭壇画を構成していた作品[1]で、後にスペイン王室のコレクションに入り、現在はマドリードのプラド美術館に所蔵されている[1]。
作品
『使徒行伝』 (7章54-60節) よれば[1]、聖ステファノは使徒たちと協力するよう彼らに選ばれた7人の助祭のうちの1人で[2][3]、ギリシャ人、もしくはギリシャ語を話すユダヤ人にイエス・キリストの名を広めた[2]。彼はギリシャ人、もしくはギリシャ人の子孫ではないかと想定されているが、故郷、生年は知られておらず、常に青年の姿で描かれる根拠も定かではない[2]。
聖ステファノはキリストと同じ年かその少し後、ティベリウスがローマ皇帝であったころに殉教したと信じられている。彼はエルサレムの最高法院でイエスの栄光を説き、イエスを殺害した人々を糾弾した[2]。それを聞いたユダヤの人々は憤慨し、彼らの慣習にしたがってステファノを町の城門で石打ちの刑に処した[2][3]。その間、彼の顔は輝きに満ち、彼は神に「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」 (使徒行伝 7:54-60) と処刑者たちを許すよう懇願した[1][2][3]。聖ラウレンティウスとともに、聖ステファノは聖なる助祭殉教者のグループに属しており、その生涯の諸場面は中世以来の美術に頻繁に取り上げられてきた。中でも石打ちの殉教の場面は、鑑賞者に自身の信仰心の強さを量らしめる試金石として、教会にとみに好まれた主題である[2]。
画面では、処刑人たちが怒って司祭姿の聖ステファノを石で打っているかたわら、彼は神に自身の魂を委ねている[1]。背景には、サウル、すなわち将来のパウロが登場し、この情景を眺めている。しばしばフアン・デ・フアネスの絵画に描かれる、ラファエロの絵画にもとづいた古代遺跡、オベリスク、ピラミッドなどが風景中に見て取れる[1]。
聖ステファノの祭壇画の作品 (プラド美術館蔵)
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『シナゴーグの聖ステファノ』(1555-1562年ごろ)
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『冒瀆を咎められる聖ステファノ』(1555-1562年ごろ)
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『殉教に連れ出される聖ステファノ』(1555-1562年ごろ)
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『聖ステファノの埋葬』(1555-1562年ごろ)
脚注
参考文献
外部リンク
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