縄文の道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/08 16:30 UTC 版)
集落の北側には湯沢川が西流する。この川は深い谷を形成しており、川床と集落の比高は12メートルで、川と集落の間は25度の急斜面になっている。湯沢川が集落の水源になっていたはずであり、調査関係者は、集落と川を結ぶ道が存在したはずだと考えた。調査の結果、幅1メートルほどの道状遺構が検出された(「縄文の道」と通称される)。斜面を削って幅1メートルほどの帯状の平坦面を造り出していること、環状集落と川岸の遺構の間、約70メートルを直結していることなどから、この遺構は「道」と認定されている。さらに、奈良・平安時代に形成された黒色土層の下層にこの道があること、伴出遺物が縄文中期の曽利Ⅱ式からV式の土器に限られることなどから、この道は縄文時代に造られたものとわかる。
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