編纂の経過
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 04:45 UTC 版)
徳川幕府第三代将軍家光の命により、幕府は寛永18年(1641年)から、若年寄・太田資宗(総裁)、儒者・林羅山(編纂主任)に諸大名・旗本以上の幕臣の諸系譜の編纂事業を行わせた。まず諸家に対して、素材資料となる各家の系図や家譜および証拠資料(古文書)等を提出させた(呈譜)。そして、寛永19年(1642年)から林羅山の指導の下に儒者や五山の僧侶等の編集委員によって、編纂事業が急ピッチで進められて寛永20年(1643年)9月に完成、献上された。和文体本・漢文体本の2種があり、ともに総数186巻・総収録数1,400余家にのぼる大著であった。
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