綾部での青春時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/25 09:41 UTC 版)
師を求めて京都に出たものの、つても保証人もない若者に、京都画壇の壁は越えるに厚く、目指した師の門は開かれることはなく、また仕送りなどを当てにする事もできないため、絵画専門学校に入ると言った選択もできなかった。しかし窮屈な師弟関係の元で学ぶより、自由な地で写生をしつつ学んだ方が得るものが多いと考えた伯霊は、綾部にいる伯父に声をかけられた事もあり、綾部に新天地を求め、姫路と往復する生活を数年間続けることとなった。地元姫路の浜手にはない、好きな農村風景の広がる綾部は別天地で、後の田園風景画家としての根底がここで培われたようにも思われる。 また綾部には大本教の本部があり、インテリや文化人を含む多くの信者がいたため、伯霊自身は信者にはならなかったが、多くの交友を深め影響を受けた。鹿子木孟郎の弟子・有道佐市からは細密画法を学び、俳人の青木月斗、河東碧梧桐などから学んだ俳句は長く続けたという。
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