精神状態と意図
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/20 22:06 UTC 版)
「アヒンサー (ジャイナ教)」の記事における「精神状態と意図」の解説
ポール・デュンダスがアーチャーリヤ・ジナバドラ(7世紀)の、宇宙に生命体が偏在しているからといって必ずしも修行者が普通の行動をとってはいけないことにはならないという教説を引用している: 「究極的には意図こそが問題なのである。現実的な観点から言って、人間は単に殺したとか世界に魂がひしめいているか、世界が初々しいままだとか、物理的に殺したわけではないからといって人間が殺す者ということにはならない。人間が実際に殺したとしても、殺そうという意図があって初めて殺す者になる。医者が患者に苦痛を与えても暴力ということにはならないし意図が純粋であるから罪にはならない、というのは外的な行為は決定要因ではなく、意図こそが決定的な要因だからである それゆえジャイナ教では、意図が純粋であっても不注意な行為はしばしば無意識のうちに暴力を起こすことが認められているので気遣いを伴った純粋な意図がアヒンサーの実践の上で必要だとされる。
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