米田村時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/19 06:05 UTC 版)
1889年(明治22年)、印南郡米田村、米田新村、古新村、塩市村、島村、神爪村、平津村、船頭村が合併し、印南郡米田村が成立した。旧村名は大字として継承され、役場は米田村米田に置かれた。1872年(明治5年)11月に高砂市立米田小学校の前身である龍東小学校が、西蓮寺の庫裏を校舎として創立された。1900年(明治33年)、山陽鉄道(現 JR西日本山陽本線)宝殿駅が開業した。1918年(大正7年)から加古川河川改修工事が開始され、1933年(昭和8年)に竣工した。1919年(大正8年)に日本毛織印南工場が操業を開始し、工場・社宅・休養施設が次々に建設された。加古川の河川改修により加古川を分流していた洗川は閉め切られ、廃川となった。
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