籠田総門
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/11 02:18 UTC 版)
籠田総門は江戸時代に岡崎城総曲輪の東側出入口に設けられた総門である。水野忠善が岡崎城の城主だった1654年(承応3年)に岡崎城の西側の松葉総門とともに建てられた。籠田町にあったので「籠田総門」と呼ばれた。総門には番所も併置され、東海道(「岡崎城下二十七曲り」)を東からやってきて籠田総門を通行しようとする者はここで改めを受けた。1658年(万治元年)の大火や1670年(寛文10年)の大火では焼失しているが、大火後には新たに建て直された。また南側の総持尼寺の稲荷山を切り取って枡形を設置した。
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