第7、8哨戒と退役
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/03 02:52 UTC 版)
「U30 (潜水艦・2代)」の記事における「第7、8哨戒と退役」の解説
1940年7月月13日にロリアンより出撃。ポルトガル南方まで進出し7月21日にイギリス船Ellaroyを沈めた。機関の故障のため7月24日、ロリアンに帰投。多くの不具合が明らかになったため、次の出撃後はドイツに戻されることになった 1940年8月5日ロリアンより北太平洋へ向け出撃。ブリテン諸島の北を通って8月30日にキールに到着。途中、アイルランド西岸沖で2隻(Canton、Clan Macphee)を沈めたが、再度の機関故障により哨戒を打ち切らざるを得なくなっている。 1940年9月15日にU30は前線任務から退いて戦争の残りの期間はバルト海の練習部隊に配属されていた。レンプやU30の乗員の多くはU110へと移った。 1945年5月4日、連合国の手に渡るのを防ぐためフレンスブルクで自沈した(レーゲンボーゲン作戦)。後に引き揚げられ、1948年に解体された。
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