第6回鈴鹿8時間耐久ロードレース
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 05:20 UTC 版)
「吉村秀雄」の記事における「第6回鈴鹿8時間耐久ロードレース」の解説
1983年に鈴鹿サーキットは最終コーナー手前にシケインが設置され、全長も6004.15メートルから6033.35メートルへと延長された。新しくなったサーキットで行われる8耐へヨシムラは森脇の製作したアルミフレームに吉村の手掛けたGSX1000のエンジンを搭載したマシンで出場し、翌年以降レギュレーション変更によって出場できなくなる1000ccマシンの最後を飾った。 クロスビーはポールポジションを獲得するものの、エンジンはやはり耐久性を欠き、度々オーバーヒートによるピットインを余儀なくされた。ペアで出場していたロブ・フィリスのタイムが伸びず、それを奪い返そうとクロスビーがペースを上げるとエンジンが負担に耐え切れずピットインが必要になるという展開であった。 結局ヨシムラは13位に終わり、この8耐で優勝したのはスズキ・フランスから世界耐久選手権の1ラウンドとして参加していたエルブ・モアノー、リカルド・ユービン組で、同組は1983年の世界耐久選手権の優勝も獲得した。搭乗したGS1000Rに搭載されたエンジンはヨシムラがチューニングを施したものであり、ヨシムラはエンジン供給という形でスズキ・フランスの世界耐久選手権初制覇に貢献した。
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