第10交響曲の構想、アルマとの危機
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「交響曲第10番 (マーラー)」の記事における「第10交響曲の構想、アルマとの危機」の解説
1910年、妻のアルマは6月から湯治療養のためトーベルバート(ドイツ語版)に滞在していたが、この地で建築家ヴァルター・グロピウスと出会う。 同年7月3日、マーラーは休暇先トブラッハ近郊のアルトシュルーダーバッハで第10番を構想、スケッチを始める。 アルマがトブラッハのマーラーの元に戻ると、グロピウスはアルマに求愛の手紙を書く。7月29日にマーラーはグロピウスの手紙(マーラー宛になっていたという)を読んで二人の関係を疑う。 8月5日、アルマを追ってトブラッハまでやってきたグロピウスをマーラーは自分の別荘に招き入れる。このときマーラーは聖書を読んでいたが、アルマに「君が好きなようにしてもいい。君が決めたまえ」といったという。アルマはマーラーの元にとどまったが、グロピウスとの関係はつづき、マーラーの死後、画家オスカー・ココシュカとの関係を経て1915年、アルマはグロピウスと結婚する。 8月22日、扁桃腺炎? のために別荘で昏倒する。 8月25日、マーラーはオランダのライデンを訪れ、ジークムント・フロイトの診断を受ける。この診療以降にマーラーが第10交響曲の作曲を進めたという記録は全くなく、死ぬまで放置される事になる。
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