第1テーゼ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/22 01:24 UTC 版)
「フォイエルバッハに関するテーゼ」の記事における「第1テーゼ」の解説
フォイエルバッハを含めたこれまでのすべての唯物論の主な欠陥は、対象・現実・感性が単なる客体の、または傍観者の形式のもとでだけとらえられていて、人間的な感性的活動・実践として、主体的にとらえられていないことである。ゆえに、能動的側面は、唯物論に対立して観念論によって展開されることになった。しかしただ抽象的に。なぜなら、観念論は現実的・感性的な活動を、まさに現実的・感性的な活動としては知らないからである。フォイエルバッハは、人間の頭に映った客体とは現実的に区別された、現実の客体を求めているのだが、しかし、人間的活動そのものを対象的活動としてはとらえようとしない。だから、『キリスト教の本質』の中でただ傍観者的(客観的)態度だけを真に人間的な態度と見なした。他方で、それに対して、実践はただ不潔で、ユダヤ人的な現象形態においてだけとらえられ、固定される。ゆえに、彼は「革命的」な活動、「実践的・批判的」な活動の意義を理解しない。
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